鷹番NEWS
こんにちは、悠久です。
今回はACOOの住所に注目してみました。
東京都目黒区鷹番2-18-3
住所の中に「鷹番」とあります。
この「鷹番」という名前の由来には
ちょっとした歴史があるんです!
その歴史のお話にどうぞお付き合い下さい。
まずは鷹狩のお話から。
鷹狩とは鷹などを使い鳥やウサギなどの
小動物を捕らえる狩りのことです。
世界的に昔からやっていた狩猟方法で
日本では古墳時代の埴輪(はにわ)に
鷹を手に乗せたものも存在するそうです。
日本書紀にも鷹狩のことが書いてあり、
相当昔から行われていたことがわかります。
鷹狩は戦国武将の間にも広まりました。
特に有名なのは徳川家康の鷹狩好きです。
生涯で千回以上も行ったそうです。
徳川将軍家は代々鷹狩を好み、
三代目将軍家光は将軍専用の鷹場を整備したりしました。
ただ5代目の将軍、綱吉は生類憐れみの令を出し
ここで一時、鷹狩りは廃止されたのですが、
八代目将軍の吉宗の時代に復活しました。
将軍達は鷹場において純粋に狩りも楽しんだのでしょうが、
他にも領内の事情を探ること等、
色々と意味があったそうです。
明治維新後は鷹狩は大名だけのものではなくなり
民間人の猟にもつかわれるようになりました。
さて、上で述べた中の
徳川将軍達が鷹狩を行った場所のことを
鷹場(たかば)といいます。
他にも御拳場(おこぶしば)、御留場(おとめば)という
呼び名がありました。
この鷹場は三代将軍家光が
江戸から5里四方(20Km)を鷹場に指定したことでできました。
そして後の八代将軍吉宗が
享保2年(1717年)に鷹場を改変し
葛西、岩淵、戸田、中野、品川、六郷筋と決め、
さらに享保10年(1725年)にこのうちの
六郷筋が品川筋、目黒筋となりました。
この時代の目黒周辺には
駒場原、碑文谷原、広尾原などの土地が
鷹場になっていました。
この頃は何もない原っぱで
鳥や獣が多く生息していたと思われます。
その鷹場の中に作られたのが
鷹番屋敷です。
そこには鷹番という役人がいて
鳥獣の乱獲を見張ったり
怪しい者の身元を調べる等
重要な役目を担っていました。
そう!
つまり鷹番という地名は
この鷹番からきていたのです!
目黒筋の鷹の監視、整備などを
任された鷹番が住んでいたのが
今のACOOのある鷹番なのです。
その時代の名残が鷹番という地名にあるのです。
代々の将軍が鷹狩に来ていた目黒筋という鷹場。
その鷹場を守ってきた鷹番。
鷹番の住んでいた鷹番屋敷。
そしてそんな歴史のある場所に
今はACOOがあります。
今度ACOOにいらっしゃる際には
鷹番のいた時代に思いを馳せながら
景色を眺めるのなんて如何でしょうか?
国立公文書館所蔵
江戸近郊御場絵図
文化2年(1805年)作成された、
江戸近郊に設定された
幕府の御鷹場の地図から
大きい地図はこちら
国立公文書館
■ 2009/08/10 のブログを再掲載しております